ディープラーニングで脳信号を復号化し、ADHD を診断

数学を使用して脳の活動をモデル化


あなたの前に 3 枚のドアがあり、どれかひとつを選ばなければならないとします。1 枚のドアの後ろには真新しい車が隠れており、残りの 2 枚の後ろにはヤギが隠れています。あなたが選んだドアを指差すと、それぞれのドアの後ろに何が隠れているかを知っている人が、残りのドアのうち 1 枚を開けます。この時に開けるドアは、ヤギが隠れているドアでなければなりません。するとあなたには、車は自分が選んだドアの後ろか、閉まっているもう一つのドアの後ろにあることがわかります。最初の選択を変更しますか、それともそのままにしますか。

これは、よく知られた脳トレーニングの問題であり、モンティ・ホール問題と呼ばれています。Álvaro López-Medrano 氏は、この問題をきっかけに計算論的精神医学分野に参入し、医師による注意欠陥/多動性障害 (ADHD) の診断方法を変える可能性のあるツールを開発しました。

神経科学者、神経学者、精神科医、心理学者は、ADHD のような精神疾患の行動症状と、その根底にある神経系の機序との関連付けに取り組んでいますが、難航しています。脳科学の専門家は、精神医学の診断において、推測に頼る診断を行わなくて済むような、信頼性が高く利用しやすいバイオマーカーを求めています。López-Medrano 氏と同氏が経営するスタートアップ企業 Bitsphi は、ADHD 診断向けに、この障害に特有のパターンを検出するアルゴリズムを使用した脳信号処理により、この問題を解決しようとしています。

認知モデルと情報理論

3 枚のドアから正しいドアを選択する 2 度目のチャンスを与えられたら、どのドアを選んだらよいでしょうか。ここでの正解は、別のドアに変更することです。変更することで、間違ったドアを選んでしまう可能性は常にあります。しかし、2 頭のヤギと 1 台の車の場合、最初に選んだドアに隠れているのはヤギである可能性の方が高くなります。つまり、最初に片方のヤギが現れたら、ドアを変更すれば車が現れる可能性が高くなるのです。

モンティ・ホール問題

López-Medrano 氏は 10 年前、自宅の居間でモンティ・ホール問題に取り組み、解法を探し出そうとしていました。電気技師である López-Medrano 氏は、直感に反する解法と向き合うことで、脳が情報を処理し、判断する機序について深く考えるようになりました。このトピックを調べるうちに、同氏は Google Scholar® での論文検索にのめり込んで行きました。モンティ・ホール問題に関する論文を次々と読みふけるうち、シャノンの情報理論に基づいて認知モデルを研究した論文にたどり着きました。

この理論は、コミュニケーションの枠組みを構築するものです。つまり、発信者がどのように情報を受信者に伝えるか、また、その情報の交換を可能にするためにどのような作業を行うかということです。しかし、López-Medrano 氏は、この理論に基づいた認知モデルでは、脳の情報処理の基本であるトップダウン法とボトムアップ法の違いを十分に説明できるモデルを見つけることができませんでした。トップダウン法では、たとえば、注意を払うべき対象や、さまざまな状況での刺激に対する反応など、思考が環境の捉え方や反応に影響を与えます。ボトムアップ法では、脳が感覚刺激を解析し、反応します。この問題を考えることで、同氏は認知に関する新しい発想を得ることができました。

これに触発された López-Medrano 氏は、確率論と情報理論の概念を用いて、脳の情報処理方法を表す認知モデルの開発に取り組みました。同氏の認知数理モデルは、脳内の情報の流れと、人がどのようにして不確かな状態からはっきりと認識した状態に至るのかを説明しようとするものです。

López-Medrano 氏は、構築したモデルについて、マドリード コンプルテンセ大学の認知神経科学教授兼認知・計算神経科学センター長の Fernando Maestú 氏に相談しました。Maestú 氏は、神経疾患や精神疾患のバイオマーカーを探索するため、脳の電気生理学的活動を研究しています。

Maestú 氏は、このモデルを確認しながら、自分の研究に対する新しいアプローチ方法として利用できるのではないかと考えました。そして López-Medrano 氏に、このモデルを認知障害の診断に利用できる可能性があると伝え、客観的な診断ツールを必要とする一般的な疾患である注意欠陥/多動性障害 (ADHD) から研究を始めることを勧めました。ADHD の人は、世界中に 8,400 万人以上いると言われています。

原因に注目

精神疾患の診断にあたり、臨床医は、DSM-5 (Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition) を使用しています。専門家は多くの科学的研究やホワイトペーパーに基づいて診断基準を定めていますが、診断にはある種のコツが必要です。多くの基準は主観的です。たとえば、DSM-5 に記載されている ADHD の症状のひとつには、次のようなものがあります。それは「直接話しかけられても、人の話を聞いていないように見えることが多い」ということです。「多い」の定義や、人の話を聞いているとはどのような状態を指すのかは主観的なものであり、臨床医によって意見が分かれます。

「問題の原因である脳に注目すれば、より適切な診断が可能になります。薬物療法が必要な子どもには確実に薬物療法を受けられるようにする、必要のない子どもには薬物療法を処方しない、といった選択ができるようになるでしょう。」

また、臨床医は、認知検査の結果を症状の評価や精神疾患の診断にも利用しています。こうした検査は、注意系や記憶系など、特定の脳ネットワークの機能を利用するよう設計された作業を、患者がどの程度実行できるかを測定します。しかし、この手法も確実とはいえません。Bitsphi の製品マネージャー、Sandra Ortiz Hernández 氏は、次のように説明します。「心疾患の患者がいれば、大抵は症状のある心臓に着目します。では、脳の認知に関連する症状があるのに、なぜ反応時間や、その人が文字をいくつ組み合わせられるかに着目するのでしょうか。

また、認知機能検査の結果によって、認知障害が隠れてしまうこともあります。Ortiz 氏によれば、ADHD 評価では、認知障害を伴う人の成績が非常に良好であるがために、診断がつかず、必要な治療を受けられなくなることがあるといいます。ADHD 患者には失読症など他の障害を伴う場合もあるため、診断が困難になることがあります。Ortiz 氏は次のように述べています。「合併症によって行動検査が困難になり、時には誤診につながります。これは、誰にでも適した診断手法というわけではありません。」

臨床医はさらに精度の高いツールを必要としています。「問題の原因である脳に注目すれば、より適切な診断が可能になります。薬物療法が必要な子どもには確実に薬物療法を受けられるようにする、必要のない子どもには薬物療法を処方しない、といった選択ができるようになるでしょう。」

López-Medrano 氏と Bitsphi の CTO である Miguel Blanco Carmona 氏は、こうした問題をきっかけに、自分たちが構築した認知モデルに実用性があるかを探求しました。Blanco 氏は次のように述べています。「理論的なモデルはすでにありましたが、脳が実際にどのように働くかを示す証拠が必要でした。」

子どもが ADHD であるかどうかを判断するツールを作成するにあたり、Blanco 氏と López-Medrano 氏は、ADHD と診断された子どもと診断されなかった子どもの両方を募集しました。そして、子どもの脳活動を記録し、構築したモデルに基づいて統計的アルゴリズムが 2 つのグループを区別できるかどうかを調査しました。

こうした初期の検査では、López-Medrano 氏と Blanco 氏は、脳磁図 (MEG) を使用して脳活動を記録しました。活性化したニューロンは電気活動を起こし、それが脳内に磁場を発生させます。MEG スキャナーはその磁気信号を記録し、活性化したネットワークをマッピングします。

両氏はこの初期検査の被験者の子どもを募集し、Maestú 氏の MEG 設備を使用してデータを収集しました。MEG スキャナーでの測定中、子どもたちは、関連性のある部分に集中し、関連性のない部分は無視するという注意能力を検査する認知課題に取り組みました。神経科学者の間でよく知られるこの「go/no-go」課題は、被験者はある特定の刺激を見たときにボタンを押し、無関係な刺激を見たときにはボタンを押さないというものです。ADHD の子どもは通常、神経機能が正常な子どものように、ボタンを押そうとする衝動を上手く抑えることができません。

赤と青の線を重ね合わせ、結合性の高い領域と低い領域を示す 4 枚の脳の画像。

脳の領域間における脳機能的結合の相違。赤は結合性が低いことを、青は結合性が高いことを示す。(画像著作権: Bitsphi Diagnosis)

脳のトポグラフィーと折れ線グラフを並べた図。

(左) ある刺激に対する被験者群の誘発反応の平均値と標準偏差、およびセンサーレベルでの空間分布。(右) 刺激前後の振幅の相違。(画像著作権: Bitsphi Diagnosis)

2 年後、López-Medrano 氏と Blanco 氏は、ADHD の子ども 20 人と ADHD でない子ども 20 人の計 40 人が、「go/no-go」課題を実行している間の脳の結合と活動パターンを示す MEG データを収集しました。López-Medrano 氏と Blanco 氏は、これまでの神経科学研究に基づき、評価すべき神経回路は、主に背側注意ネットワークと腹側注意ネットワークだと理解していました。López-Medrano 氏は次のように述べています。「次のステップは、検査で得られた結合性の結果に数学モデリングを適用することでした。」しかし、その時点では、最適な方法はわかっていませんでした。

López-Medrano 氏と Blanco 氏は、Bitsphi の技術の実用化に必要なテクニカルサポートと専門知識を求めて、MathWorks スタートアップ プログラムに応募することにしました。スタートアップ プログラムの MATLAB Suite を導入した両氏は、Signal Processing Toolbox™ と MATLAB® を使用してモデルのテストと脳データの解析を開始しました。これらの初期検査の結果、このモデルは ADHD と診断される被験者を正確に予測できました。López-Medrano 氏は次のように述べています。「ADHD 群よりも対照群の方が、「go/no go」テストの成績は良好でした。データからは、対照群では、腹側注意ネットワークと背側注意ネットワークの結合性が、ADHD 群よりもはるかに効率的であることが判明しました。」

両氏の構築したモデルは成功を見たものの、MEG スキャンのデータが必要な場合、このモデルを商業的に実用化できないことは明らかでした。MEG スキャナーは高価なうえに大型で、入手も困難です。たとえば、スペインに MEG スキャナーは 3 台しかありません。現在、Bitsphi チームはこのモデルの実用化に向けて取り組んでいます。

研究用から実用化へ

Bitsphi は、従来の脳画像化技術である脳波計 (EEG) に注目しました。100 年以上にわたって、科学者や医師は、脳が発する電気的活動の記録に EEG を使用してきました。MEG ほど精度は高くありませんが、EEG は安価で可搬性があり、ほとんどの医療機関で利用できます。多数の電極が埋め込まれた頭皮に密着するキャップ部分を通じて、EEG はほぼリアルタイムで神経細胞の電気的活動を記録します。しかし、MEG のような空間分解能はないことから、Bitsphi チームは当初、MEG を使用していました。

「MATLAB のおかげで、開発にかかる労力を削減し、基幹となる技術に集中できるようになりました。」

Blanco 氏は次のように述べています。「現在では、探すべき対象も、関与する部位も把握できています。EEG を使用した場合でも、必要な情報をはるかに探しやすくなりました。」

Bitsphi チームは、マドリードの医療機関ネットワークと提携し、MEG の結果を EEG で再現するために、150 人の青年被験者を募集しています。また、類似の ADHD のバイオマーカーを確実に検出するために、MEG と EEG のデータを MATLAB を使用して変換しています。Blanco 氏は次のように述べています。「MATLAB のおかげで、開発にかかる労力を削減し、基幹となる技術に集中できるようになりました。」

次に、ディープラーニングと呼ばれる人工知能を使用して、診断の高速化と自動化を計画しています。脳波電極からのデータは、MATLAB でニューラル ネットワークを学習させ、脳領域間の結合性に基づいてバイオマーカーを判定するために使用されます。ニューラル ネットワークはデータ処理を効率化し、通常は人間の専門家を必要とする EEG 記録中の筋肉の動きや目の瞬きによるアーティファクトを除去します。その結果、ディープラーニング アルゴリズムは、子どもが ADHD である確率を計算し、その子どもが ADHD の多動性サブタイプであるか、または不注意サブタイプであるかを判断するうえで役立ちます。

MATLAB で開発した診断ツールの画面。このインターフェイスには、EEG 電極キャップをかぶった 2 つの頭部画像が含まれている。

EEG がキャプチャしたさまざまな画像を表示する臨床医向けの MATLAB アプリケーション。(画像著作権: Bitsphi Diagnosis)

MathWorks スタートアップ プログラムの一環として、Bitsphi のエンジニアは MathWorks のアプリケーション エンジニアと協力して技術の商業的方向性をブレインストーミングし、MATLAB を使用して、検査結果を表示する臨床医向けアプリケーションを開発しています。このツールが市場に出るにはまだ時間がかかりますが、López-Medrano 氏は、このツールが臨床医の診断に取って代わるのではなく、それを補完する診断補助ツールになることを想定しています。López-Medrano 氏は、このツールについて、すべての患者の診断に使用するというよりも、「はっきりしない症例に使用することになるだろう」と述べています。

López-Medrano 氏によれば、来年あたりには製品をリリースできる予定とのことです。そこから、Bitsphi チームは ADHD 以外の診断にも目標を定めました。Blanco 氏は次のように述べています。「ADHD モデルは、統合失調症や自閉症スペクトラム障害など、他の疾患にも応用できる可能性があります。」研究チームはすでに、臨床医の診断に役立つ結合性パターンを評価するため、他の疾患を対象とした臨床試験を計画しています。

Blanco 氏は次のように述べています。「EEG を使用することで、誰もが利用できる世界的なソリューションとして提供できるようになります。それこそが当社のミッションなのです。」


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